100年のあゆみ

公益財団法人薬学振興会は、令和7年5月に創立100周年を迎えました。
100周年という節目を、関係各位のご支援により無事に迎えられましたことを、心より感謝申し上げます。
100年の歴史を振り返り、これからの未来への展望を描き、関係者各位への感謝の気持ちを込めまして、100周年記念サイトを開設しました。
当会に関わる多くの皆様にご覧いただけますと幸いです。
母学振興期成会の設立

薬学振興会の母体である母学振興期成会は、大正13年(1924年)に設立されました。当時以下に述べるような時代背景もあって、薬学の教育・研究にかかわる学問領域の発展と拡大は急速でした。東京帝国大学医学部薬学科は四講座(薬化学・衛生裁判化学・生薬学・薬品製造学)で運営していましたが、新分野の研究と教育を担う新たな講座を新設する余裕は到底望めませんでした。
慶松勝左衞門教授は、医学部薬学科卒業生自らの力で学問の進歩に対応することを主張して、薬学科の教授、助教授、助手らの同意を得、臓器薬品化学と薬品分析化学の二講座を寄付講座として設立することを目指しました。大正13年(1924年)4月19日、薬友会(東京帝国大学医学部薬学科の同窓会)総会が開催され、満場一致で母学振興期成会設立の件が採択され、実行に移されました。
時代背景-大正末期とはどんな時代だったか
大正末期は復興と再発展の時代でした。さらに10年ほど遡ると、大正3年(1914年)には第一次世界大戦が勃発し、我が国も参戦し、その終結は大正6年(1918年)のことでした。その年から約3年の間、大戦による人の移動の拡大も一つの原因となってスペインインフルエンザの大流行があり、我が国でも罹患者数は総人口の37%に達し、26万人の方が亡くなったと言われています。その約3年後の大正12年(1923年)に関東大震災が起こりました。そのような時代背景の中で、病の予防、診断、治療に役立つ薬の開発と、その基盤となる学問である薬学の重要性が社会に広く認識されるようになった、また製薬企業の社会的責任も拡大したと言えるでしょう。
大正14年(1925年)には、科学技術の世界ではNHKのラジオ放送開始、政治の世界では普通選挙法の施行などの出来事もありました。
薬学振興会設立の経緯
母学振興期成会の活動の結果、大正13年(1924年)11月には卒業生340名と学外後援者35名から予定額15万円を大きく上回る26万7千円余が寄せられました。当時の寄付活動の記録である寄附金申込書、芳名録、及び決算報告書などは、今も(公財)薬学振興会に大切に保存されています。




東京帝国大学古在総長と林医学部長の諒解を得て、3年後の新講座設立の実現を期して準備が開始されました。かくして母学振興期成会は初期の目的を果たし、発展的解消を遂げて財団法人薬学振興会として大正14年(1925年)5月25日に発足しました。初代会長は池口慶三氏でした。
薬学科は昭和4年(1929年)4月25日付で、臓器薬品化学講座設置願を大学に提出し、これが同年6月17日に許可され、医学部薬学科は念願の5講座となりました。その後、この資金を奨学金として東京大学に寄付し、薬品分析化学講座の増設や、備品、薬品の購入のための資金としました。
公益財団法人薬学振興会
平成24年(2012年)公益財団法人及び公益財団法人の認定等に関する法律の制定と施行に伴い、薬学振興会は公益財団法人として再出発し、新たな発展の機会を得ました。一方、その運営は東京大学薬学部からは独立した公益法人として行われることが求められるようになりました。そうではあるものの、公益財団法人薬学振興会の定款には、「東京大学における薬学の研究を奨励・助成し、もって学術の振興と人類の福祉に寄与することを目的とする」と明示されております。さらに、前条の目的を達成するために、次の事業を行うことが記されています。
- 薬学の基礎的研究に対する援助
- 研究者の海外派遣その他国際学術交流に対する援助
- 薬学の振興に関するセミナーの開催
- その他前条の目的を達成するために必要な事業
東京大学においては、平成17年(2005年)の独立法人化に伴い、社会に開かれた大学の活動が求められるに至り、その窓口として薬学振興会が機能することとしました。そこで、薬学振興会の事業 3. として、社会人を対象とするセミナーコースを主催し、毎年、医薬品評価科学講座(RCセミナー)及び先端創薬科学講座(FDDセミナー)を開講し、好評を得て約20年が経過しています。


